縁とは、一切の法が生じるために必要な外縁と外力であり、因とは、一切の法が生じる内的な原動力、すなわち業種とも、過去世における業行とも言えるものでございます。業種という因に、外力である縁が加わることで、諸法は生起します。しかしここに更に一つの由縁が存在します。それは、いったい誰が因縁によって諸法を生じさせるのかということでございます。この由縁は他ならぬ如来蔵にございます。
例えて申せば、小麦の発生において、因は小麦の種子であり、縁は気候や土壌などでございます。因縁が具足すれば、麦芽は生じます。しかし麦芽は自ら進んで生じることはできず、人が種子を土に植え、肥料を与え灌漑し、風通しを良くする必要がございます。人の働きがなければ、たとえ小麦の種子と地水火風が存在しても、両者和合することなく、麦芽は生じません。同様に、業種と外縁のみ存在し、如来蔵が両者を統合しなければ、諸法は生起しないのでございます。諸法は七大種子の組み合わせによって成り、如来蔵はこの七大種子を蔵し、業種も含んでおります。外縁外力もまた諸法の一つであり、同様に七大種子の組み合わせで、如来蔵から生じたものでございます。従って、いかなる法も全て如来蔵より生じた、つまり因縁所生のものでございます。諸法が因縁所生である以上、本来後天的に生じたものではなく、生があれば必ず滅があります。因縁が滅する時、諸法もまた滅します。故に諸法は空であり、因縁所生の法は空で、了々として得るべきものではございません。
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