第八識は形も相もなく、肉眼では見ることができません。しかし、心眼、慧眼、法眼、仏眼によっては見ることができます。このうち慧眼・法眼・仏眼は総じて心眼と呼ばれますが、三つの眼が見るものには大きな違いがあります。智慧に差があるため、見えるものにも必然的に違いが生じるのです。形も相もない第八識の本体を、どのようにして見ることができるのでしょうか。第八識の本体は空で見ることはできませんが、数多くの運行の相と機能作用を具えています。第八識の運行の相は心行や心所法とも呼ばれ、その機能作用はあらゆる法を成就し、一切の法の相貌を顕現させ、全ての法に相応する機能作用を与えます。慧眼は法眼や仏眼に比べて智慧が浅く覆い障りがあるため、見える第八識の行相は浅く粗いものです。法眼が見る第八識の行相は広く深く細やかであり、仏眼は円満無礙で、見えるものは第八識の全体行相に及び、微細な法の一つも知らぬものはなく、天地を明るく照らし、毫厘をも見通すのです。
第八識が運行する行相は現量観察によって明らかになります。悟りを開いていない者は見ることができず、悟っていない者は第八識の作用を推測するのみで、その行相を観察することはできません。この点から、人が真に悟っているか否か、真実の悟りか偽りの悟りかを完全に判断できます。第八識の機能作用は仏典や祖師方の教示から推し量ることができ、推理によっても大まかな作用を導き出すことは可能です。しかし、少し細かく推論するのも難しく、詳細な事柄は直接聞くのでなければ、自ら現量観察しなければ得られません。よって、修行者が真実の大智慧を獲得し、慧眼と法眼を具えるためには、戒・定・慧の修行に精進し、真摯に苦行を重ね、真の修行と実証を積むことによってのみ、真の解脱の功徳を受用することができるのです。
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