衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年11月04日    月曜日     第3 回の開示 合計2009回の開示

第八識は現量によって観察可能です

悟りを証得した後には、第八識の行相を現量において観察することができ、七つの識の行相とは明瞭に区別がつくようになり、七識五陰の中に堕することはありません。例えば赤豆と緑豆が混ざり合っていても、即座に見分けがつき、境界が明瞭で曖昧さが残らないようなものです。五蘊の身において、どの法の運行を観察するにせよ、即座に第八識が如何に運行しているか、六つの識が如何に働いているかを知ることができます。第七識の運行を観察するのは比較的困難ですが、時至れば観察可能となるべきです。現量において八識の行相を観察する過程において、第六・七識の行相は区別がつかず混同されやすいかもしれませんが、第八識の行相は速やかに識別され、六・七識と混同されることはなく、真妄を見誤ることはありません。

故に第八識は現量において証得可能なものです。第八識の体は雖も不可見ですが、その行相と機能作用は現量において観察できます。第八識の相と用を通じて、不可見なる第八識の体を証得することができるのです。第八識の体は世俗法の体と本質的に異なります。世俗法の体たる六塵の境界は、五識によって見られ識別され、意識によって更に容易に弁別されますが、第八識はそのようなものではありません。それ故に第八識の行相は極めて微細であり、般若の智慧が不足していると全く見ることができず観察もできず、多くの人々が第八識は単なる名称で体は存在せず空であると説くに至るのです。このような見解は甚だしい誤解であり、自らの菩薩道業を妨げ、成仏を期し難くするに足るものです。

——生如法師の開示
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六祖の悟道は現量による第八識の観察である

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