問:『楞厳経』の耳根円通における「入流亡所」と後の「色蘊区宇」、そして『金剛経』で説かれる須陀洹が「入流」であり色声香味触法に入らないという三者の関係はどのようなものですか。
答:観世音菩薩が耳根円通の聞性三昧を修めた際、最初に音声を聞く時に音声の流れに入り、ただ音声を知るだけでその源や一切の所有を知らず、この専注が最初の定でした。
『金剛経』では、須陀洹は入流と名付けられながらも入る所がなく、この「流」とは色声香味触法の六塵境界を指します。須陀洹は五蘊十八界が皆空であることを証得したため、六塵境界を真実の我や我所と認めず、故に六塵境界の中にありながら心は六塵境界に執着しません。
須陀洹の入流は我見を断つ智慧の境地であり、智慧を主とし禅定を従とします。観世音菩薩の入流亡所は禅定の境地を主とし、智慧を従とします。
修行が色陰区宇に入りながらもそこから出ず、色陰区宇を通り抜けていない状態は、禅定の境地です。
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