如来蔵は無余涅槃の中にあっても、常に業種を了別し続けます。もし如来蔵に智慧がなく、勝解がなければ、業種が何であるか、熟しているかどうかを知ることができず、そうなれば阿羅漢は永遠に涅槃を出ることができず、意根と五蘊身を持つことになります。無余涅槃の中において、もし如来蔵に禅定がなければ、如来蔵の心は散乱することになります。如来蔵は何によって散乱するのでしょうか。仏が『楞厳経』で説かれた首楞厳大定とは、まさに如来蔵の出ずることも入ることもない定を指します。このように、如来蔵は永遠に定から出ることはありません。どうして散乱して禅定がないなどということがあり得ましょうか。如来蔵の智慧は増えることも減ることもなく、常に般若の大智慧を持ち、一切の法を了別し、一切の法を造り出し、一切の法を執持します。無余涅槃の中にも依然として如来蔵が対する法が存在するため、如来蔵の心所法はなお存在し続けるのです。
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