原文:チューラパンタカは、即座より起ち上がり、仏足を頂礼し、仏に白して言う。私は誦持に欠け、多聞の性なし。最初に仏に値遇し、法を聞いて出家す。如来の一句伽陀を憶持するに、百日のうち、前を得れば後を失い、後を得れば前を失う。仏は我が愚を愍み、安居して出入息を調えることを教えたまう。我時に息を観じ、微細を窮め尽くす。生住異滅、諸行刹那。その心豁然として大いなる無礙を得、乃至漏尽し、阿羅漢を成ず。仏座の下に住し、無学と印成される。仏が円通を問われば、我が証する所に依れば、息を返して空に循う。これ第一と為す。
釈:周利槃特迦は座席より起立し、仏足を礼拝して仏に申し上げた:私は経文と偈頌をよく誦持できず、記憶力が劣り、最初に仏に出遇った時、仏の説法を聞いて出家修道しました。一句の偈を暗誦しようと百日の間、前文を覚えれば後文を忘れ、後文を覚えれば前文を忘れました。仏は私の愚鈍を憐れみ、一処に安居して出息と入息を調えるよう教えられました。
私は呼吸を観じ始め、観じれば観じるほど呼吸は微細になり、次第に呼吸が断絶して四禅定に入りました。出定後は呼吸の生住異滅を観察し、一切の身行刹那の生滅、一切の行蘊の刹那生滅を観るに及び、心は豁然と開明し、諸行の空と五蘊の空を証得し、五蘊世間に全く滞礙がなくなり、煩悩を尽くして四果の大阿羅漢となりました。仏座の下に住し、無学位として仏に印可されました。仏が円通法門を問われた時、私が証得したように、自らの呼吸を反観して次第に深まり、頓に空無に入り、諸行が空であることを証得したこれが私の第一の法門です。
周利槃特迦は法理に対して鈍根で記憶力がなく、仏はその根性を知り、呼吸観想法を教えられました。証果の方法は理論から入るのではなく、実際の身行から入り、呼吸に心を止めて観じることで禅定が次第に深まり、心は細やかになり、呼吸も細微となって遂に断絶しました。こうして周利槃特迦は呼吸の生住異滅の現象を観じ、次第に五蘊身の運行する生住異滅の現象を観行し、五蘊諸行法の空を証得して阿羅漢果を得ました。故に実修は身をもって行う必要があり、必ず心を一処に止めて観行の智慧を起こし、定慧等持して初めて三昧を証得し、法眼浄を得て生死を超越し解脱するのです。観行力の足らぬ者は禅定を修すべきであり、修行が進まぬ者は仔細に原因を探り、適切に方向と方法を調整し、一門深入の修行によって初めて成就を得られます。
真の修行は決して小賢しい知恵で成し得るものではなく、堅実に地に足をつけ、一歩一歩確実に進み、禅定を修得する決意なくしては全てが空中楼閣に等しいのです。
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