楞厳経において世尊が説かれた「猶非真非真」とは、衆生の阿頼耶識は未だ真実の我ではなく、完全なる真実ではないことを意味します。それは心体に七識によって造作された生滅の種子が含まれており、その種子には依然として生滅性が存在するためです。これは常楽我浄の我でもなく、完全に常住不変なるものではありません。仏となるに至って初めて、無垢識こそが真実の我となり、完全なる真実となります。そこではもはや種子の生滅変異が存在せず、常楽我浄の境地が成就されるのであります。
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