世尊は諸比丘に告げられた。「知り見るが故に諸漏は尽きるのであって、知らず見ずして尽きるのではない。いかにして知り見るが故に諸漏が尽きるのか。正思惟と不正思惟がある。もし不正思惟するならば、未だ生じざる欲漏は生じ、既に生じたるものは増大する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じ、既に生じたるものは増大する。もし正思惟するならば、未だ生じざる欲漏は生じず、既に生じたるものは滅する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じず、既に生じたるものは滅するのである」
釈:世尊は比丘たちに説かれた。法を知り法を見るが故に諸煩悩の漏れは断じ尽くされるのであり、法を知らず見ずして煩悩漏れを断じ尽くすのではない。なぜ法を知り見て初めて煩悩が尽きるのか。衆生の思惟には正思惟と不正思惟の区別がある。もし衆生が不正思惟するならば、未だ生じていない貪欲の煩悩が生起し、既に生じた貪欲煩悩は増大する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起し、既に生じたものは増大する。もし正思惟するならば、未だ生じていない貪欲煩悩は生起せず、既に生じたものは滅する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起せず、既に生じたものは滅尽する。
原文:されど凡夫の愚者は正法を聞くことなく、真の知識に遇わず、聖法を知らず、聖法を調御せず、真実の法を知らず、正しからざる思惟をする者には、未だ生じざる欲漏は生じ、既に生じたるものは増大する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じ、既に生じたるものは増大する。正思惟する者には、未だ生じざる欲漏は生じず、既に生じたるものは滅する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じず、既に生じたるものは滅する。真実の法を知らざるが故に、念ずべからざる法を念じ、念ずべき法を念ぜず。念ずべからざる法を念じ、念ずべき法を念ぜざるが故に、未だ生じざる欲漏は生じ、既に生じたるものは増大する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じ、既に生じたるものは増大する。
釈:しかし凡夫の愚者は正法を聞く機会がなく、真の導師に遇わず、聖者の教えを知らず、聖法を制御できず、真実の法を知らず、正しく理に適った思惟ができないため、未だ生じていない貪欲煩悩が生起し、既に生じた欲漏は増大する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起し、既に生じたものは増大する。一方、正しく理に適った思惟ができる者には、未だ生じていない貪欲漏は生起せず、既に生じたものは滅する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起せず、既に生じたものは滅尽する。
原文:多聞の聖弟子は正法を聞き、真の知識に遇い、聖法を調御し、真実の法を知る。不正思惟するならば、未だ生じざる欲漏は生じ、既に生じたるものは増大する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じ、既に生じたるものは増大する。正思惟する者には、未だ生じざる欲漏は生じず、既に生じたるものは滅する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じず、既に生じたるものは滅する。真実の法を知りて後は、念ずべからざる法を念ぜず、念ずべき法を念ず。念ずべからざる法を念ぜず、念ずべき法を念ずるが故に、未だ生じざる欲漏は生じず、既に生じたるものは滅する。未だ生じざる有漏・無明漏は生じず、既に生じたるものは滅するのである。
釈:多聞の聖弟子は正法を聞くことができ、真の導師に遇い、聖者の教えを制御し、真実の法を知る。もしなお正しく理に適った思惟ができないならば、未だ生じていない貪欲漏は生起し、既に生じたものは増大する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起し、既に生じたものは増大する。しかし正しく理に適った思惟をする者には、未だ生じていない貪欲煩悩漏は再び生起せず、既に生じたものは滅尽する。未だ生じていない三界の有漏と無明漏は生起せず、既に生じたものは滅尽する。
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