衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年12月01日    日曜日     第1 回の開示 合計2067回の開示

『楞厳経』第五巻における二十五聖円通法門の持地菩薩

原文:持地菩薩即ち座より起ちて。仏足を頂礼し。仏に白して言く。我が往昔を念うに、普光如来の世に出現せし時、我は比丘として、常に一切の要路津口・田地険隘に於いて、法に如かずして車馬を妨損する所あるを、我は皆平らかに填う。或いは橋梁を作り、或いは沙土を負う。是の如く勤苦して、無量の仏の世に出現するを経たり。或は衆生有りて、闤闠の処に於いて、人に物を擎げるを要すれば、我は先ず為に擎げて、其の詣る所に至り、物を放てば即ち行く。直を取らず。毘舎浮仏の世に現じ在す時、世は多く飢荒なり。我は人を負うて、遠近を問わず、惟だ一錢を取る。或は車牛の陷溺に被る有れば、我は神力有りて、其が為に輪を推し、其の苦悩を抜く。時に国中の大王、仏を筵して齋を設く。我は爾の時に於いて、地を平らげて仏を待つ。毘舎如来、頂を摩して我に謂う。心地を平らぐべし。則ち世界の地、一切皆平らかなりと。我即ち心開けて、身の微塵を見るに、世界を造る所有の微塵と等しく差別無し。微塵の自性は、相触摩せず、乃至刀兵も亦触るる所無し。我は法性に於いて無生忍を悟り、阿羅漢を成ず。心を回して今菩薩位に入る。諸の如来の妙なる蓮華仏知見地を宣ぶるを聞き、我は先ず証明して上首と為る。仏の円通を問うに、我は諦観を以て、身界二塵の等しく差別無きを、本如来蔵の虚妄に塵を発するに、塵銷えて智円成し、無上道を成ず。是れ第一と為す。

釈:持地菩薩が座より起立し、仏足を頂礼して仏に申し上げた。私は普光如来が世に現れた往昔を思い返します。比丘として、要所の道路や渡し場、険しい田畑など、法に背き車馬を損なう箇所があれば、常に整地しておりました。橋を架けたり土砂を運んだり、このように苦労を重ね、無量の仏が世に出られる間続けました。また市井で荷物を運ぶ人を率先して助け、届け先まで運び終えても報酬は受け取りませんでした。毘舎浮仏の時代、飢饉が続くなか、運搬業者として距離に関わらず一銭のみ受け取り、車輪の脱輪救助にも神力で助力しました。国王が仏供養の際、私は道を整備して待ち受けました。毘舎如来は私の頭を撫で「心の地を平らかにせよ。そうすれば世界の地も平らかになる」と諭され、私は心の目が開け、身体を構成する微塵が世界の微塵と同一で、その本性が触れ合わず、武器も通じない理を悟り、無生忍を体得して阿羅漢となりました。今は菩薩として諸仏の妙法蓮華経を聴聞し、最初に悟りを証し上首となりました。仏が円通を問われたので、身と世界を成す微塵が如来蔵より現れた虚妄であり、塵相が消え智慧が円満して無上道を成じたことを述べ、これが私の第一の修行法門であると答えました。

持地菩薩が毘舎浮仏の言葉で即座に悟りを得たのは、無量劫にわたる衆生救済の功徳、我執の克服、深い禅定の修養が因縁成熟していたためです。修行者は悟りの資糧を積み、時至れば自然に障礙なく覚るべきことを示しています。

——生如法師の開示
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