無量声仏は菩薩の本覚妙明を説き示され、この世界と衆生の身は全て妄縁の風力によって転じるものであると観じ給うた。その時私は、世界の安立を観じ、世の動きを観じ、身の動静を観じ、心の念いの動きを観ずるに、諸々の動きに二つなく、等しく差別なきことを覚った。この時、あらゆる動きの本性は来る所なく去る所なきことを悟った。十方の微塵のごとき倒錯した衆生は、同一の虚妄に住す。
かくの如く三千大千世界の内に在る全ての衆生は、一つの器に百匹の蚊蚋を貯えたるが如く、ちゅうちゅうと乱れ鳴き、分寸の間に狂わしく騒ぎ立てる。仏に逢うこと久しからずして無生忍を得たり。この時心開け、東方の不動仏国を見て法王子となり、十方の仏に事え給う。身心は光を放ち、透徹して障礙なし。仏が円通を問われしに、私は風力の依り所なきを観じ、菩提心を悟り三摩地に入れり。十方の仏が伝え給う一つの妙心に合す、これ第一と為す。
注:十地以上の菩薩は法王子たり、まもなく仏道を成就し仏果を継承す。ここに説かれる三千大千世界の形成は、全ての衆生の本覚妙明心中の地水火風四大種子より成り、衆生の虚妄の業縁に依りて大千世界を生ず。衆生の色身もまた本覚が衆生個人の業縁に応じ、四大種子を輸出して形成す。
大千世界の運転は全ての衆生の本覚中の風力の作用にて、衆生色身の動作行為・身口意行は衆生自身の虚妄業縁及び本覚中の風力作用なり。而して大千世界の安立・三世の変化・衆生色身の動作・衆生識心の念想、これらの動性に二様なく差別なし。
何故差別なきや。其の実体は皆衆生本覚中の風力作用なる故なり。何故風力の作用あるや。衆生に虚妄の業縁あるが故に、業有れば因縁現前し、必ず結果を生じ、其の結果は動転・流転止まざるなり。而してこの業が造作され本覚中に存す。風大もまた本覚中の一つの種子功能なり。
衆生に業なければ縁現前せず、本覚中の四大作用起きず、世界の安立・形成もなく、衆生も色身を生ぜず。然るに菩薩は仏道を成就し衆生を度する為、一切の縁を滅さず、尚ほ少しのものを留めて色身を獲、道業を修す。十方世界の微塵の如き衆生は皆倒錯し、同一の虚妄の業縁より生ず。
衆生の主なる倒錯は自身と外界への認知正しからざるにあり、ここに不正確な身口意行を生じ、業を本覚中に存し、縁に逢いて果報を受く。かくの如く三千大千世界内の全ての衆生は、一つの器に百匹の蚊蚋を貯えたるが如く、ちゅうちゅうと乱れ鳴く。我ら南閻浮提の衆生も地上にありて、鈴虫の如く箱に納められちゅうちゅうと鳴く。実に皆自心中に狂わしく騒ぎ立て、甚だ乱れ騒がし。
衆生は心を息まざるを以て、更に世界と自身に対し不正確なる作意思惟を生じ、内心中に種々の知見・見解・覚知・感想・意見・思想・観念を生ず。皆正しからざる故に、各々不正確なる法有り、ここに分歧・諍論を生じ、世間は紛乱複雑に闘諍騒がし。これらの紛争・知見・感想・分別・妄見は、皆衆生の心上の浮塵にして、心上に現れたる影像にて真実ならず。
斯くの如き影像は如何にして現起するや。塵相は如何にして心中より生ずるや。瑠璃光法王子は修証を以てこの理を了知し、本覚妙明を証得し無生忍を得たり。後に深く修し十地等覚菩薩となり、身心世界の障礙なきを洞徹せり。彼の円通修法は風力の源を観じ、来る所なく去る所なく、皆如来蔵性・本覚妙明性なるを悟り、本覚三昧定に入り、事理共に十方諸仏の伝え給う清浄妙心に契合し、本覚に背かず。若し背かば、即ち錯悟なり、悟りを誤れり。
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