衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年12月25日    水曜日     第2 回の開示 合計2097回の開示

意識と意根の覚知

意識が覚知していないとき、末那識(まなしき)は覚知しているのでしょうか。末那識が覚知しているとき、我々はそれを知っているでしょうか。意識がないとき、いったい誰が末那識を観察するのでしょうか。たとえ意識があるときでも、ほとんどの衆生は末那識を観察することができず、末那識の機能作用は埋もれ、誤解されてしまいます。末那識が自らを内観するとき、意識もそれを観察できず、末那識自身も表現することができないため、我々は末那識の機能作用を明瞭かつ真理に即して理解することができず、末那識は幕後の隠者として主導者・指揮者・決裁者たらざるを得ません。

末那識はいつになったら幕後の隠者・主導者・指揮者・決裁者という立場を離れ、表舞台に現れるのでしょうか。表と裏の区別は何に基づいて言われるのでしょうか。それは意識の智慧の程度によって定まります。

末那識が表舞台に現れる条件は、意識が非常に強大な智慧と観察力を備えていることです。意識が強大な智慧と観察力を備えるためには、明心の後に初禅以上の禅定力を具足し、その果位が初地前後に至らねばなりません。一般的には初地を経て煩悩が断じられた後、意識と末那識がともに識から智へと転じたときです。このとき末那識が表舞台に出るのではなく、ついに意識が智慧を具足し、末那識を観察できるようになるため、末那識の機能作用が二度と埋もれることがなくなるのです。

——生如法師の開示
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