仏道を修行する者は、人々の中にあっても独り居ても、自らの存在感を弱めるべきである。自己を過度に意識せず、自らを殊更に重んじず、争いを好まず、何事にも第一を求めないようにすべきである。己は実体ある存在ではなく、相手も実体ある存在でなく、集団も実体ある存在ではない。第一も第二もなく、最良も最悪もない。これらは全て仮の名相に過ぎない。もし人が常に「全ての人に勝たねば」「必ず誰よりも優れ強くあらねば」と心に思い、ひたすら人より抜きん出て目立ち、全ての視線を集めようとするならば、そのような想念は我執甚だ重く、無為の境地とは相いれず、聖人の心とも調和せず、我見を断じて聖賢となることは極めて困難である。
聖人の心は空無為にして、かかる心性を持たない。自らを顕示せんとすればするほど、心性は人後に堕す。聖人はこれと全く逆で、自我の存在感を持たず、有為の事を行いながら心は無為である。ただひたすら大衆のために尽くす者のみが、聖人となる資格を備えるのである。
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