阿頼耶識には、法爾として第七識の識の種子は存在しますが、第七識の根本無明の種子は存在しません。なぜそう言えるのでしょうか。あらゆる種子は身口意の行いによって造られた業の種子であり、業がなければ種子も存在せず、七大種子は例外となります。第七識は阿頼耶識と常に共存していますが、最初の段階では六識や五陰身が存在せず、業行を造作することができないため、阿頼耶識に種子が留まることもありません。しかし、六識と五陰身が生じた後に身口意の行いを造作するのは、まさに第七識の無明によるものです。第七識に無明がなければ、六識や五陰身も生じず、業行も存在せず、大千世界もなく、ただ寂静となります。もし第七識に本当に無明がなければ、涅槃に入るでしょう。しかもそれは仏地の涅槃です。このことから、第七識は一切の根本無明を具足しているため、世界と衆生の世間を興し、輪廻が止むことはないのです。
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