無始劫以前から、意根は第八識と共に存在しており、始まりの点はありません。当時の意根は無明であったからこそ、第八識と共に存在し、無明が働き出して、第八識に三界の世間と五陰の身を出生させたのです。もし意根に無明がなければ、無始劫以前に意根が存在することはなく、第八識だけが存在していました。これは無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) の状態であり、しかもこの無余涅槃は永遠に保たれ続け、再び意根が無余涅槃から出生することはなく、もちろん五蘊の身だけが出生することもありません。あの状態こそ本来仏の状態であり、それゆえに衆生は本来仏であると言われ、その心が仏なのです。しかし実際の状況はそうではありません。第八識が衆生を出生させたのであれば、心・仏・衆生の三者には極めて密接な関連点である第八識があり、そして第八識は一つであり、自分自身と自分自身に差異はなく、体性が同じなのです。
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