無始劫より以前より、末那識は阿頼耶識と共に存在しており、始まりの点は存在しません。その時の末那識は無明であり、故に阿頼耶識と共に存在し、無明が作用を起こして阿頼耶識に三界世間と五蘊身を生じさせました。もし末那識に無明がなければ、無始劫以前に末那識の存在はなく、ただ阿頼耶識のみが存在する無余涅槃の状態であり、この無余涅槃は永遠に保持され、再び末那識が無余涅槃から生じることもなく、当然五蘊身のみが生じることもありません。その状態こそが本来の仏の境地であり、故に衆生は本来仏であると説かれ、その心こそが仏であるとされるのです。しかし実際の状況はそうではなく、阿頼耶識が衆生を生じさせたため、心・仏・衆生の三者は阿頼耶識という密接な関連点を有し、阿頼耶識は唯一無二の存在であり、自らと他者に差異なく、その体性は同一であります。
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