ある人は、記憶は完全に意識の機能作用であり、意根には何の関わりもないと言います。確かに意識は記憶を想起できますが、意識は因縁によって生じる法であり、因と縁があって初めて意識は生じ、因縁が具わらなければ意識は生じません。いかなる因縁が意識を生起させ、記憶を想起させるのでしょうか。なぜ意識は記憶を想起できるのでしょうか。もちろん意根が過去の事を思い起こし、独影境が現れ、根と塵が触れ合い、意根が何かを為そうとする時、第八識が意根の心行に随順して、初めて意識が生起し記憶を想起するのです。そうでなければ意識は生じません。故に意識が記憶を想起できるかどうかは、意根が過去の事を縁とするかどうか、何かを明らかにしようとするかどうかにかかっています。もし意根が過去の事を思わず、何の心行もなければ、意識は生じず、ましてや想起や思惟を行うこともなく、様々な情緒も現れません。
もし意根に何の心行もなく、何の法も造作しようとしなければ、意識は一念も生じない状態に置かれます。もし意根に心行があり、何らかの法を造作しようとすれば、意識は必然的に意根の心思に随順して造作し、一念も生じない状態ではいられません。故に意識の一念不生の定は完全に意根によって決定され、意根に操作されます。意根が他の法を攀縁すれば、意識はどうしても定まることができません。
意識が一念不生の時、意根も同様に一念不生となるか、あるいは念が生じても意識に影響を与えず、何かを造作しようとする考えがなければ、意識は依然として一念不生でいられます。
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