ぼんやりする、放心状態、失神、ぼうっとする。ぼうっとするとは動かずにいる意味であり、神とは意識を指す。ぼうっとする状態とは意識が思考分析作用を起こさないことである。意識が法の表面的な意味を理解した後、さらに深い次元の問題を解決できなくなると、問題を意根に委ねざるを得なくなり、意識はただ問題を見守る役目を果たす。多くの重大かつ深遠な問題は意識では解決できず、意根が宿世から持つ固有の経験と智慧に頼らざるを得ない。初期段階で意識が表面的な問題を理解して意根に伝えると、意根はおおよその内容を把握し、単独でさらに深い問題を思量し始める。例えば旧友や元同僚に会った時、意識はその人物を認識し誰であるかを知りつつも、名前が言えず呼びかけもできず、挨拶さえできない状態になる。この時意識は何もできなくなり、意根がその人物の名前を検索し続け、絶えず思惟を巡らせる。同時に六識をして口をきけなくさせ、目を見開いて相手を見つめ、何も行動を起こさせない。ぼうっとしている時、時に意識も微弱な思考活動を行い意根の思量を補助するが、意識の思考は強くならず、そうでなければ意識が活発化してぼうっとした状態から脱してしまう。
1
+1