仏道を学ぶ者は皆、禅定を修めることに努め、古い世俗の習気を克服し、心を修道へと転換させるべきです。世俗法に過度に執着すべきではありません。累生累世にわたって経験してきたものを再び追い求めても、生死の大事を解決することはできません。大事をしっかりと捉えれば、世俗の一切の事は何でもないことになります。皆がこの理を見極める智慧を持つべきです。
一つの習気を降伏させ変化させるのは非常に困難であり、自分に特定の習気があることを観照するのも容易ではありません。習気が習気と呼ばれる所以は、長年の熏習により積み重なり、根深く固着しているからです。我々のそれぞれの思想観念はほとんど習気に順じたもので、相当の定力を持って自己の考えや観念が存在すべきでない習気であることを観照覚悟しなければ、大多数の人は自分にどのような習気があるかを知らず、自らの思惟が全て誤りであり、無明の業障であり煩悩であることを悟れません。これに順じることは即ち生死へ向かうことなのです。
無明の習気を認識したとしても、それを転換し変化させるのは困難です。これこそが我々に絶えず警戒心を持ち自らを鞭撻して一心に道に向かわせ、猛烈な修道心を起こさせ、不断に自己の生死の業障を反省させ、人生の真諦を思惟し、真の価値体系を見極め、世俗法の虚偽と不実を認め、急いで生死の火坑から飛び出し、再び振り返って多くの同胞道友を救済することを求めているのです。
2
+1