衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年02月21日    金曜日     第2開示 合計2150開示

生とは何でしょうか。

出体とは、別の事物が現れることを生と称しますが、一切の法は如来蔵の外に出るものなく、全て如来蔵の中に在ります。故に一切は生じず、生じないが故に滅することもありません。一切の法は本来如来蔵にして、不生不滅であります。さればこそ、一切の法は空にして自性無しと説かれるのです。我々が刻々に忙殺されていることに、何の意味があるのでしょうか。

この理を忍可し認めれば、無生忍と無生法忍を得ます。意識で忍ぶことは容易ですが、肝要は意根にあります。意根がもし忍可できれば即ち実証となり、完全徹底した実証は即ち成仏であります。思い巡らすは容易ですが、実践には三大阿僧祇劫を要し、実に容易ならざるものなのです。

両脚を長く伸ばして臥し、事事に心を留めず。何故かくも悠々たるのか。一切の法は我と関わり無く、我というものも存在せず、万法安閑にして我もまた安閑。世の中に何を騒ぎ立てる必要がありましょうか。

——生如法師の開示
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『楞厳経』第二巻 五蘊虚妄

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五戒の戒体の作用

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