阿頼耶識の見分は、すなわち阿頼耶識の見る作用であり、阿頼耶識は五遍行心所法の働きを通じて一切の法を見ます。作意・触・受・想・思という過程を経て法を摂取し顕現させるとき、初めて末那識の意根が法を見ることができます。それ以前は阿頼耶識のみが独自に見るのです。しかし意根は阿頼耶識の見分の機能を見ることはできず、仏陀となって後、あるいは幾地かの菩薩位に至って初めて如来蔵の見分の機能である心所法の運行を見ることができます。普通の凡夫や地前の菩薩の意根にはこのような大いなる智慧と禅定の力がなく、幾地かの菩薩であっても必ずしも明瞭かつ円満に見通せるわけではありません。
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