衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年02月28日    金曜日     第2 回の開示 合計2168回の開示

『楞厳経』における舌根・味塵の虚妄

原文:阿難よ、汝は常に二時に衆中にて鉢を持ち、その際或いは酥酪醍醐に出遇う。これを上味と名づく。汝の意いかん。この味は空より生ずるか、舌より生ずるか、食より生ずるか。阿難よ、もしこの味が汝の舌より生ずるならば、汝の口中にはただ一舌あるのみ。その舌その時すでに酥味となり、黒石蜜に出遇う時、推移すべからず。もし変移せざれば、味を知ると名づくべからず。もし変移するならば、舌は多体にあらず。いかにして多くの味を一舌にて知ることができよう。

釈:阿難よ、汝は毎日二度の時を大衆の中で鉢を持ち托鉢し、時に酥酪醍醐という最上の美味に出会う。この味は虚空から生じるのか、舌から生じるのか、食物から生じるのか。もし舌から生じるなら、口の中に一舌しかないのに、黒石蜜に出会っても味が変わらないなら味を知るとは言えず、変わるなら舌は一つなのにどうして多様な味を感知できるのか。

原文:もし食より生ずるならば、食は識あるにあらず。いかにして自ら知ることができよう。まして食が自ら知るならば、他者の食事と同じく、汝に関わることなく、どうして味を知り得よう。もし空より生ずるならば、汝が虚空を嘗めれば、いかなる味となろうか。もし虚空が鹹味ならば、汝の舌を鹹くするのみならず顔面も鹹くする。この世の人々は海魚のごとく、常に鹹味を受け淡き味を知らず。もし淡き味を知らなければ鹹味も覚えず、必ず無知となる。いかにして味と名づけよう。されば知るべし、味・舌と嘗めることはともに処所なく、嘗めることと味とは二つながら虚妄なり。もとより因縁性にあらず、自然性にあらざる。

釈:もし食物から生じるなら、食物に舌識がないのに自らの味を感知できず、まして他者の知覚に属するなら汝の味覚とは無関係である。もし虚空から生じるなら、虚空を嘗めても味はなく、仮に鹹味なら顔面まで鹹くなるはずで、人々は海魚のように鹹味しか知らず淡味を識別できなくなる。故に味覚・舌・味知作用には実体がなく、これらは因縁や自然によるものではなく如来蔵の性質である。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

仏道の修行はそう簡単なものですか?

次の記事 次の記事

意識の体外離脱現象(一)

ページのトップへ戻る