意識が体外に離脱する時、身体の上方や傍らに浮かびながら自身の身体を見下ろす感覚があります。意識が離脱しない時は、身体と一体不可分と感じられます。これらの感覚は所詮感覚に過ぎず、離脱の有無に関わらず真実ではありません。よくよく参究すべきは、楞厳経に説かれる一切法の如来蔵性が、全て如来蔵の外に出ず、如来蔵の中に存在するという理です。如来蔵に内外などあるでしょうか。決してありません。ではこれらの法は何者か、あるいはどのような状態と言えるのか。実体はあるのか。これらの内容は極めて重要、実に最も重要であり、これらの法を悟り透徹し、心を徹頭徹尾空じる時、直ちに成仏することができます。他の方法では直接成仏は叶いません。
0
+1