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日常開示

2020年03月01日    日曜日     第2 回の開示 合計2175回の開示

『楞厳経』第三巻 意根と法塵の虚妄

原文:阿難よ、汝が常に意中において縁る所の善悪・無記の三性、生成する法則。この法はまた即ち心の生じる所か、あるいは心を離れて別に方所有るか。阿難よ、もし即ち心ならば、法はすなわち塵に非ず。心の縁る所に非ず、いずくんぞ処を成さん。もし心を離れて別に方所有らば、則ち法の自性は知あるか知らざるか。知れば即ち心と名づく。汝に異なりて塵に非ず、他者の心量と同じからん。即ち汝即ち心なり、いずくんぞ汝が心、更に汝に二つあらん。

釈:阿難よ、汝が意根心中に縁る善悪無記の三性の法が生じる法則について、法塵は意根心中に生じるのか、あるいは意根心を離れて別に生じる処所があるのか。もし法塵が意根心より生ずるならば、法塵は塵ではなくなり、意根も縁ることができず、どうして根塵相触れる処所となり得ようか。もし法塵が意根を離れて別に生じる処所があるならば、法塵の自性に知性はあるのかないのか。知性があれば心と呼ぶべきであるが、意根以外の心は意根でも法塵でもなく、即ち別の心となり、意根と同じ性質を持つ。二つの心のうち一つは汝阿難、もう一つは心であるなら、どうして汝の心が二つ存在するのか。

原文:もし知らざる者ならば、この塵は既に色声香味・離合冷暖及び虚空相に非ず、当に何れの処にか在るべき。今色空に於いて全く表示無し。人間界に応じて更に空外有るべからず。心の縁る所に非ず、処誰に従って立つべき。故に知るべし、法と心は俱に処所無し。則ち意と法、二つ俱に虚妄にして、本より因緣に非ず、自然性に非ず。

釈:もし法塵に知性がなければ、心ではなく塵となるが、この法塵は色香味触でもなく、離合冷暖の五塵色相も虚空相も持たない。色法でも空法でも表せず、人間界に虚空の外に法塵が存在するはずもない。意根を離れた法塵は意根が縁れず、処所を立てることもできない。故に法塵と意根心は共に処所を持たず、意根と法塵の二者は共に虚妄であり、元来因縁性でも自然性でもなく、全て如来蔵性である。

意根が法塵に触れて意識を生じる。法塵には五塵上の法塵と独影境が含まれ、性質は善・悪・無記の三種がある。例えば人が布施の善行を行えば、如来蔵がこの法塵を顕現させ、意根に伝達する。意根が法塵に触れて縁を結べば、関心があれば五俱意識が生じて更に了別し、関心がなければ五俱意識は生じない。如来蔵が昨日の喧嘩の事象を顕現させ、意根に伝達すれば、意根がこの独影境に触れ、関心があれば独頭意識が生じてこれを了別し思惟する。故に意根は必ず法塵と同一処所に存在し、分離すれば法塵は存在せず、意根も縁を結ばない。

——生如法師の開示
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