紙上の空論は意識の働きであり、実際の戦いは意根の働きである。理論を学び理を明らかにするのは意識の働きであり、実践操作は意根の働きである。棋法を学び研究するのは意識の働きであり、盤上での対局は意根の働きである。楽譜を学ぶのは意識の働きであり、舞台での演奏は意根の働きである。絵画芸術を学ぶのは意識の働きであり、絵を描くのは意根の働きである。金融を学ぶのは意識の働きであり、金融家となるのは意根の働きである。調理理論を学ぶのは意識の働きであり、料理人として調理するのは意根の働きである。運転技術を学ぶのは意識の働きであり、路上運転は意根の働きである。理数系知識を学ぶのは意識の働きであり、仕事での実践応用は意根の働きである。医学理論を学ぶのは意識の働きであり、治療行為は意根の働きである。農業技術を学ぶのは意識の働きであり、田畑を耕すのは意根の働きである。建築設計を学ぶのは意識の働きであり、設計図作成と家屋建築は意根の働きである。政治を学ぶのは意識の働きであり、指導者として政治家となるのは意根の働きである。仏法を学ぶのは意識の働きであり、悟りを開いて仏となるのは意根の働きである。意識と意根が如何に役割分担し協働するかは戒・定・慧の修養に関わり、また極めて深遠な学問の対象である。
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