衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年03月02日    月曜日     第1 回の開示 合計2178回の開示

定慧をともに修め偏りのない道を歩む

仏道修行をより早く進めたいのであれば、修行の理論的筋道を明らかにし、止観の方法と参禅の方法の区別を明確にした上で、現在の修行における重点を見極める必要があります。そうすれば時間を無駄にせずに済むでしょう。

前五識と意識の生滅変化を調伏し、五識意識が五塵の境界を分別して感受するのを防ぐことが止観の方法です。この止観によって定力を高めた後も、五識意識を用いて塵境を観察し、塵境を参究し、塵境と五蘊世間の真実相を見極め、智慧を獲得しなければなりません。このような証悟の智慧があってこそ生死の苦から解脱し、修行の目的を達成できるのです。

禅定を修得した後は観行を実践します。小乗では五蘊十八界が苦・空・無常・無我であることを観じ、大乗は小乗の観行を基盤として、色を見る者・声を聞く者とは誰か、参禅する者とは誰かを観じます。観行による参禅は必然的に塵境に対する観察と注視を要しますが、ただ集中力を散漫にせず、必要のない法に注意を分散させないことが肝要です。

修行は外道のようにひたすら禅定に耽るべきではありません。周囲の一切の法を顧みず、問わず触れずでは智慧が開けません。成仏間際に一つの法を知らなければ無明となり、成仏は叶いません。外道は心静かですが、一切の境界に遭遇しても心動かず、八万劫もの長きにわたって禅定に入りながら何一つ知ることができず、無明のままです。しかし定から出れば悪業が現前し、直ちに無間地獄に堕ちます。釈迦仏の師もこのような存在で、仏が成道後も救済の機会を得られなかったのは誠に惜しいことです。全世界の人々を合わせても、このような外道の心静けには及びませんが、何の役に立つでしょうか。世間の真実を明らかにできず、解脱の智慧を得られなければ、生死輪廻の中で苦しみ続けることになります。よって仏道修行には止観と智慧を兼ね備え、戒・定・慧を並行して修めるべきです。そうすれば正道を外れることがありません。

——生如法師の開示
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