仏陀の涅槃と阿羅漢の涅槃は本質的に異なります。仏陀が涅槃に入られた後も、無数の五蘊身を顕現させて十方世界で衆生を救済されます。そのため仏陀は五蘊身を解脱色と説かれました。仏がある世界での衆生救済の因縁が尽きると、色身を滅して涅槃と方便に説かれます。例えば釈迦牟尼仏が娑婆世界で涅槃に入られ、色身が一時的に滅びたとしても、釈迦仏は依然として娑婆世界の法主・教主・導師であり、娑婆世界の衆生は釈迦仏に教化された弟子に属します。同時に釈迦仏は無量無辺の五蘊身を化現して十方世界で衆生を教化されます。阿羅漢が涅槃に入ると、もはや色身五蘊を有することはなく、解脱色も存在しません。故に阿羅漢の涅槃は自在ならず、解脱は徹底していないのです。
仏は五蘊を有しながらも解脱されており、解脱色は衆生の肉眼で見ることができ、世間のいかなる法にも束縛されません。衆生も五蘊を有しますが、世間法に束縛されているため解脱を得られません。心が解脱すれば色身も解脱し、五蘊すべてが解脱します。故に解脱は必ずしも色身五蘊を滅する必要はなく、理法にかなわない心念と知見を滅し、心念を理法にかなった真実の知見に転じれば解脱するのです。
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