仏教における禅定の修行と道教におけるそれには一定の区別がございます。その目的が異なるため、方法論にも必然的に相違が生じるのです。道教の修行目的は肉体の健康長寿にあり、生死の輪廻の苦から解脱しようとするものではございません。故に彼らは禅定において肉体に極めて注意を払い、意識の全てを色身に集中させ、解脱の智慧には関心を向けぬのであります。仏教徒たるものは禅定の基盤の上に智慧への精進を重ねるべきであり、禅定中に身体へ注ぐ意識は過多であってはなりません。道教的な修身理論に軽く触れる程度に留め、我々が仏法によって禅定を修するのは智慧を獲得し解脱を得んがためでございます。身体に支障が生じず、坐禅参究の妨げにならぬ限り、これに拘る必要はなく、色身に過剰な精力を費やすことは甚だ不本意でございます。
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