原文:阿難よ。汝の言う如く、四大の和合により、世間における種々の変化が現れ出るのである。阿難よ、もしそれらの大種の本性が和合するものでないならば、諸々の大種と雑和することができず、あたかも虚空が諸色と和せざるが如きものである。もし和合するものならば、変化に同じくし、始め終わり相い成り、生滅相続き、生死死生し、生生死死して、旋火輪の如く、未だ休息あることなし。
釈:仏は言われた。阿難よ、まことに汝の説く如く、四大の和合によって世間の種々の変化が現れたのである。もし四大種の体性が和合するものでなければ、諸大は互いに混ざり合うことができず、あたかも虚空が一切の色法と和合しないようなものである。もし四大が和合し得るならば、共に変化して世間相は永遠に存在し、生滅相続き、生じては死に死んでは生まれ、生生死死すること火の輪が回転する如く、決して止むことがないであろう。
原文:阿難よ、水が氷となり、氷がまた水に還るが如し。汝、地を観よ。粗なるは大地となり、細かなるは微塵となり、鄰虚塵に至る。その極微を析りて色の边际相をなすは、七分によって成る。さらに鄰虚を析れば、即ち実空の性なり。
釈:阿難よ、水が氷となり、氷が融けて水に戻るように、地相を観察しなさい。粗大なものは大地となり、微細なものは微塵となり、虚空に近い極微細な塵に至る。それらの極微を分析して虚空に近い色相の边际に至れば、七分に分かたれ、さらに分析を重ねれば虚空そのものの性が現れるのである。
原文:阿難よ、もしこの鄰虚が析れて虚空となるとき、当に知るべし、虚空より色相が出生することを。汝今、和合の故により世間の諸変化相が生じると問う。汝、且くこの一つの鄰虚塵を見よ。幾つの虚空を用いて和合してあるというのか。鄰虚が鄰虚を合成すべきにあらず。また鄰虚塵が虚空に析入するとき、幾つの色相を用いて虚空を合成するというのか。
釈:阿難よ、もしこれらの虚空に近い微塵がさらに分析されて虚空となるなら、虚空が色相を生じ得ることを知るべきである。汝が四大和合によって世間の変化相が生じると説くなら、一つの鄰虚塵を見るがよい。いったい幾つの虚空が和合してこれを成すのか。また微塵が虚空に分析される場合、いかなる色相が虚空を構成するのか。
原文:もし色が合する時、合した色は空にあらず。もし空が合する時、合した空は色にあらず。色はなお析くべし、空いかにか合することを得ん。汝は元より知らざるなり、如来蔵の中において、性色は真空にして、性空は真色なり。清浄本然にして法界に周遍し、衆生の心に随い、知るべき量に応じ、業に循って現れることを。世間の無知、惑いて因緣及び自然性となすは、皆な識心の分別計度なり。但だ言説あるも、実義あること無し。
釈:もし色相が和合するなら、和合したものは虚空ではない。虚空が和合するなら、和合したものは色相ではない。色は分析可能だが、虚空をどう分析できようか。汝は如来蔵において色の本性が真空であり、空の本性が真色であることを知らない。これらは清浄本然で法界に満ち、衆生の心量に応じ業によって現れる。世間の無知が因縁や自然と見做すのは、識心の分別妄想である。言葉で説くものは全て真実の義を含まない。
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