衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年03月06日    金曜日     第2開示 合計2190開示

観行(vipaśyanā-caryā)が意根を変える

禅定の中で観行 (vipaśyanā-caryā) により地水火風を参究すると、来る所もなく、出る所もなく、婉転として虚妄であり、小乗の空無という結論を得ることができ、それによって水を真実の法と認めず、また我の所有でもなく、我に属しないとするに至ります。大乗の観行については、これが如来蔵 (tathāgatagarbha) から出生したものだと観行できるようになるのは、かなり困難です。理解するだけなら難しくはなく、小乗の面から水の空を観行することは、理解するのも容易です。しかし解はあくまで解であり、証とすることはできません。私は本当に地水火風がすべて空で虚妄で無我であると認めたのだ、非常に確信しており、すでに疑惑を断除したのだ、と言う人もいるでしょうが、このような確信はまだ意識の確信であって、意根は確信していないのです。意根が確信するのは比較的困難であり、無明が深重であるため、法をすべて真実と認める習気が比較的堅固で、容易に動かすことができません。長期間にわたって熏習してはじめて、神様の観念を緩めたり、神様の認知を変えたりすることができるのです。

——生如法師の開示
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『楞伽経』第三巻水大虚妄

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断我見は五蘊の虚妄性を観行することである

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