衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年03月07日    土曜日     第3 回の開示 合計2193回の開示

『楞厳経』第三巻:風大の虚妄

原文:阿難よ、風の本性には実体がなく、動静常ならず。汝が常に衣を整え、大衆の中に入る時、僧伽梨の衣角が動いて傍ら人に触れれば、微風が生じて彼の人の顔を払う。この風は袈裟の角より出るのか、虚空より発するのか、あるいは彼の人の顔より生ずるのか。阿難よ、もしこの風が袈裟の角より出るならば、汝は風をまとうこととなり、衣は飛び揺れて汝の体を離れるべきである。我が今説法する会中に垂れ下がる衣を見よ。風はどこにあるのか。衣の中に風を蔵する所あるべきではない。

釈:阿難よ、風の本性には自性がなく、動静定まらず常住ではない。汝が衣を整えて大衆の中に入る時、袈裟の角が動いて他者に触れると、微風が生じて顔を払う。この風の源は袈裟の角か、虚空か、それとも顔自体か。袈裟より出るなら、汝は常に風を纏い、衣は体から離れるはず。今説法会場で垂れる我が衣を見よ。風はどこにあろうか。衣に風の宿る場所などあるまい。

原文:もし虚空より生ずるならば、汝の衣が動かぬ時、何の因縁で吹くことがないのか。虚空は常住なれば、風も常に生ずべきである。風のない時、虚空は滅すべきか。風の滅は見えても、虚空の滅ぶ相はどうか。もし生滅あるなら、虚空とは言わず。虚空と名付くるに、どうして風が出ようか。もし風が自ら生じるなら、払われる顔より出て、汝自身を払うべきである。汝が衣を整えるのに、どうして逆に他者の顔を払うのか。よく観察せよ。衣を整えるは汝、顔は他者に属す。虚空は静寂にして流動せず。風はどこから鼓動して来るのか。風と虚空の性質は隔たり、和合せず。風の本性に由来なきはずはない。

釈:虚空を源とすれば、衣の静止時に風なきは不合理。虚空が常住なら風も常に発生すべき。風がなければ虚空も滅びるべきだが、その相は見えず。虚空に生滅あれば、もはや虚空と呼べない。顔を源とすれば風は汝を払うはず。汝の動作で他者の顔が払われるのは理に合わぬ。衣を整える者と被る者、静かな虚空の間に、風はどこから来るのか。風と虚空は性質が異なり、和合せず。風は無由来に存在しえない。

原文:汝はまだ知らぬか。如来蔵の中では、風の本性は真の空であり、空の本性は真の風である。清浄にして本然のまま、法界に周遍している。衆生の心に随い、知るべき量に応ず。阿難よ、汝一人が衣を微動かして微風を生ずれば、法界全体を払い、国土に満ち、世間に遍く。方所あるはずなく、業に循って現れる。世間の無知は因縁や自然性と惑うが、これらは識心の分別計度に過ぎず、言葉あるも皆実義を具えず。

釈:如来蔵において風性は真空であり、空性は真の風である。本来清浄で法界全体に遍満し、衆生の心量に応じて現れる。汝の動作で生じた微風が法界全体を吹き渡る如く、業力によって現象が現れる。世間人はこれを因縁や自然と誤解するが、全て識心の虚妄分別であり、言葉では真実を表せない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

修行者の習慣と世俗の習気への反抗

次の記事 次の記事

『楞厳経』第三巻 空大虚妄

ページのトップへ戻る