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日常開示

2020年03月08日    日曜日     第1 回の開示 合計2194回の開示

『楞厳経』第三巻 空大虚妄

原文 阿難よ。空性は形なく、色によって顕れ発する。室羅城の如く、河を去ること遙かなる所に、諸の刹利種及び婆羅門、毘舎首陀、頗羅堕、旃陀羅ら、新たに安居を立て井戸を穿ちて水を求む。土を一尺出すに、中には即ち一尺の虚空有り。是くの如く乃至土を一丈出すに、中間また一丈の虚空を得。虚空の浅深は、出づる多少に随う。此の空は当に、土によって出づるか、穿つことによって有るか、因無くして自ら生ずるか。

釈:阿難よ、空性には何らの形もなく、色相によって初めて顕れ現れ発見される。室羅城において、川から遠く離れた場所に、刹利種や婆羅門種、毘舎首陀種、頗羅堕種、旃陀羅種などの人々が新居を建て井戸を掘る時、地中の土を一尺掘り出せば、地中に一尺の虚空が生じ、一丈の土を掘り出せば地中に一丈の虚空が生ずる。虚空の深浅は出土の量によって定まる。この虚空は土によって現れたのか、あるいは鑿によって生じたのか、それとも原因なく自ら生じたのか。

原文 阿難よ。若し復た此の空が因無くして自ら生ずるならば、未だ土を穿たざる前、何故に無礙ならず、唯大地を見て迥に通達無きや。若し土によって出づるならば、土の出づる時、応に空の入るを見るべし。若し土先ず出でて空の入る無きは、云何ぞ虚空、土によって出づると為さん。若し出入無きは、則ち空と土は元より異なる因無し。異無ければ則ち同じ。土の出づる時、空何故に出でざる。

釈:阿難よ、もしこの虚空が原因なく自ら生じたのであれば、土を掘る前になぜこの虚空が存在しなかったのか。ただ土地の障害を見るだけで、通達する虚空を見ないのは何故か。もしこの虚空が土によって生じたのであれば、土が出る時には虚空が入ってくるのが見えるはずだ。もし土が先に出ても虚空が入らないなら、どうして虚空は土によって現れたと言えようか。もし土と虚空に出入りがないなら、両者の出現に差異はなく、差異がなければ同一である。同一ならば土が出る時、虚空も同様に出るべきなのに、なぜ出ないのか。

原文 若し穿つことによって出づるならば、穿つこと空を出だすは、応に土を出だすに非ざるべし。穿つことによらずして出づるは、穿つこと自ら土を出だす。何ぞ空を見るや。汝更に審らかに諦観せよ。穿つことは人手に随い方角に運転し、土は地によって移る。是の如き虚空、何れの所より出づるか。穿つことと虚空は実と虚、互いに用いを為さず、和合せず。応に虚空、由無くして自ら出づるべからず。

釈:もし虚空が鑿によって生じるなら、鑿が虚空を出すのであって土を出すのではないはずだ。もし鑿によらずに虚空が出るなら、鑿は単に土を出すだけなのに、なぜ虚空が見えるのか。改めて仔細に観察せよ。鑿は人の手に従って方向を変え、土は地の移動によって出る。このような虚空は何によって生じるのか。鑿と虚空は虚実異なり、互いに作用せず、和合しない。虚空が無原因に自生するはずがない。

原文 若し此の虚空の性質が円く周遍し、本より動揺せざるならば、現前の地水火風と均しく五大と名付けられ、その本性真実円融にして皆如来蔵に帰し、本より生滅無しと知るべし。阿難よ、汝が心は昏沈し、四大が元来如来蔵なることを悟らず。当に虚空を観じて出入有るか、出入無きかを観ずべし。汝は元より知らざるなり、如来蔵中において性覚は即ち真の空、性空は即ち真の覚、清浄本然にして法界に周遍し、衆生の心に随い、知るべき量に応ずることを。

釈:もしこの虚空の性質が円満に法界に遍く、本来不動であるなら、現前の地水火風と共に五大と呼ばれ、その本性は真実円融で如来蔵性そのものであり、元来生滅がないことを知るべきだ。阿難よ、お前の心は迷いに覆われ、四大が本来如来蔵であることを悟っていない。虚空に出入があるか否かを観察せよ。お前は如来蔵において覚性が即ち真空であり、空性が即ち真覚であること、本然清浄で法界に遍満し、衆生の心量に応じて現れることを知らないのだ。

原文 阿難よ、一井戸の空の如く、空は一井戸に生ず。十方の虚空も亦復是の如し。十方を円満するに、寧ろ方所有らんや。業に循って現れ、世間の無知、惑いて因緣及び自然性と為す。皆是れ識心の分別計度なり。但だ言説有るも、皆実義無し。

釈:阿難よ、井戸を穿てばその井戸に虚空が現れるように、十方に穿てば十方の虚空が現れる。虚空は十方を円満するに特定の方角はない。ただ衆生の業に従って現れる。世間の無知なる者が、因縁生や自然生と誤解するのは、全て識心の分別計較である。言葉による説明はあれど、真実の意義は無い。

——生如法師の開示
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