衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年03月08日    日曜日     第2 回の開示 合計2195回の開示

色身が無我であると観ずる着手点

衆生は普遍的に色身を我・我所とし、外界の生存環境をも我が所有物と見做しております。もし色身が我でも我所でもないと観行しようとするならば、まず生存環境である六塵の境界が我・我所でないことを観行し、その基盤の上で色身が我でないことを観行すれば比較的容易になります。

なぜかと言いますと、外界の六塵は色身と同様、如来蔵中の地水火風空の五大種子によって構成され、性質が同じである上、外界の六塵は自心から色身よりもやや遠く、執着の観念が軽微であるため取っ掛かりやすいからです。仏は外界の六塵を我々の外身と説き、また外界と呼び、色身を内界・内身とされました。内外は相補的で相通じる関係にあります。六塵が我・我所でないことを確認するのは比較的容易であり、色身も六塵と同様の理であることを理解すれば、自心と色身の距離を引き離し、やや分割することが可能となり、色身が我・我所でないことを観行確認するのはずっと容易になります。

世俗界において色身を研究する学問を医学と呼びますが、漢方医学でも色身の構造が山河大地と相似・類同すると説いております。身体を治療する際、色身を神秘的な特別な存在と見做さず、山河大地を治めるように、生存環境を整えるように治療すべきだとしています。漢方医学のこの見解は非常に科学的で仏法に近く、我々に大きな啓発を与え、観行の取っ掛かりを見出す手助けとなり、修得が早まります。

世俗の法に「流水腐らず戸枢蠹さず」と説かれています。色身も同様で、身体が滞れば臭気を発し、腐敗して腫瘍や癌細胞が生じます。器世間の四大が調和を失えば河川の決壊・地震・津波・火災・風害が蔓延し、滄海が桑田となり桑田が滄海となります。色身もまた同じく、四大の調和を失えば気虚・血虚・風寒・上火・泄瀉・腫瘍癌などが現れます。

楞厳経に登場される聖者方も、外界の地水火風を観行し、それを反照して自身の地水火風を観じ、種々の三昧を証得して成就されました。よって六塵境界の観行から着手することが、色身を観行する近道なのであります。

——生如法師の開示
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