衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年03月10日    火曜日     第2 回の開示 合計2199回の開示

意根の同意こそが真の願意です

臓器移植を受けた患者に拒絶反応が生じる場合、遺伝子などの様々な要因に加え、寄贈者の末那識(まなしき)による拒絶が一因となります。ほとんどの臓器提供は本人の自発的な意思によるものではなく、生前に死後の臓器提供を承諾しておらず、家族が故人の臓器を提供する形を取っています。もし故人が望まない場合、臓器が患者の体内に入るとき、故人の末那識が干渉して拒絶反応を引き起こすのです。あるいは生前に臓器提供を承諾していた場合でも、死の直前に意識が完全に消える前にメスを入れられ、激しい苦痛を感じた故人が瞋心(しんしん)を起こして後悔すれば、移植された臓器を通じて末那識が抵抗し、患者に拒絶反応が生じる可能性があります。末那識の作用は意識をはるかに超えており、意識の有無に関わらず常に働きます。従って人の真の考えや態度、目的を測るには、口先の意識的な言葉ではなく、末那識に内在する真意と動機を見極めねばなりません。言葉巧みに飾り立てつつ内心では全く逆の考えを持つ者は、極めて偽りの多い人物です。人と接する際には常に相手を観察し、表面の意識が示すものだけでなく、内心の末那識を洞察する必要があります。末那識は主導的な識(しき)であり、その人の思想的資質と真の教養を表すからです。

物を贈与する者の真意を見極めるには、心からの贈与か、他の思惑や目的を伴う偽りの行為かを観察しなければなりません。同様に他者から物を得る場合も、相手の末那識が真に同意しているか、意識的に承諾しながら末那識が拒否しているような状態でないかを確認すべきです。末那識が拒否しているのに意識的に与える行為を取った場合、後々返還を求めるなどの問題が生じる可能性があります。

相手が内心では与えることを望まず、体面などの理由でやむなく承諾する状況を承知の上で強引に求め、結果的に相手が不本意ながら与えた場合、これはほぼ公然の強奪に等しい行為です。公然の強奪と窃盗の関係は、いずれも相手の末那識の同意を得ずに奪う点で共通しています。前者は露わに、後者は密かに奪う点が異なるだけで、本質的には盗人行為に変わりありません。これによって君子と小人を判別できます。君子は他人の善を奪わず、己の欲せざるを人に施さず、公明正大で裏表なく、陰で策略を弄しません。一方小人は常に疑心暗鬼で、陰険な手段を用い、心に邪念を抱き、暗い側面を多く持っています。

取引において値段を過度に切り下げ、相手の耐えられる限界を超える行為も、強奪や窃盗に等しいものです。従って買い物の際には過度な値引きを求めず、相手の心理的余裕と許容範囲を尊重すべきです。これも人としての修養と修行の一環であり、仏が説く五戒十善はまさに人としての在り方を教えるものです。末法の世を見渡せば、人としての道をわきまえない者が多く存在します。人としての基本ができなければ、我見を断ち聖人となることは到底不可能でしょう。

——生如法師の開示
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『楞厳経』第三巻 識の大いなる虚妄

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