原文:阿難よ。識性は源なく、六種の根塵に因りて妄りに現ず。汝今この会の聖衆を遍く観よ。目を用いて循り歴ね、その目周く視るに、ただ鏡中の如く、別に分析すること無し。汝が識はこの中に於いて、次第に標指し、これは文殊、これは富楼那、これは目犍連、これは須菩提、これは舎利弗とす。この識の了知は、見より生ずるか、相より生ずるか、虚空より生ずるか、あるいは因無く突然に出ずるか。
釈:阿難よ、識の性質には根源がなく、六種の根と塵によって虚妄に生じる。今この法会の聖衆を遍く観察し、目を用いて順に観れば、目は周囲の一切を遍く見渡せる。しかし目に見えるものは鏡の中の像の如く、特別な分析を加えることはない。汝の眼識が観察の中で次々と「これは文殊師利」「これは富楼那」と指し示すこの識の了知性は、見から生じたのか、色相から生じたのか、虚空から生じたのか、それとも何の因縁もなく突然現れたのか。
原文:阿難よ。もし汝が識性、見の中より生ずるならば、明暗及び色空の四種無ければ、元より汝が見ること無し。見性尚ほ無きに、何よりか識を発せん。もし汝が識性、相の中より生ずるならば、見より生ぜず、既に明を見ず、また暗を見ず。明暗視られざれば、即ち色空無し。彼の相尚ほ無きに、識何よりか発せん。
釈:もし識性が見から生じるなら、明暗相や色相・空相がなければ見性も存在しない。見性がなければ識性の発生源はない。もし識性が色相から生じるとすれば、見によらないため明暗を識別できず、色相・虚空も成立せず、識性の根源が失われる。
原文:もし空より生ずるならば、相に非ず見に非ず。見無ければ弁別無く、自ら明暗色空を知ること能わず。相の滅する縁に非ずして、見聞覚知の安立する処無し。この二非に処すれば、空は無に同じく、有は物に非ず。縦え汝が識を発すとも、何をか分別せん。もし因無く突然に出ずるならば、何ぞ日中に明月を別識せざる。
釈:虚空を根源とすれば、識は相も見性も持たず弁別機能を失い、明暗の認識が不可能となる。空と有の対立概念の中では、識が生じても分別作用が成立せず、無因突然の発生を認めれば、昼間に月を識別する矛盾が生じる。
原文:汝更に細かに詳らかにせよ。見は汝が眼に託し、相は前境に推す。状あるを以て有と成り、相無きを以て無と成る。この如き識縁、何の所よりか出ずる。識は動き見は澄む、和せず合わず。聞覚知もまた是の如し。識縁の因無くして自ら出ずるべからず。もしこの識心、本より従う所無きならば、当に知るべし、了別・見聞覚知は円満湛然として、性は所従に非ず。虚空及び地水火風を兼ね、皆な七大と名づく。性真円融、皆如来蔵にして、本より生滅無し。
釈:識の発生源を究明すれば、見は眼根に依存し、相は外境に基づく。識の動的特性と見の静的本質は調和せず、諸感覚機能も同様である。識が無因に生じるなら、了別作用や諸大種と一体の如来蔵そのものと知るべきである。この真如の法界には本来生滅が存在しない。
原文:阿難よ。汝が心は粗浮にして、見聞の明らかに知ることを悟らず、本より如来蔵なるを発明せず。汝応にこの六処の識心を観るべし、同じか異なるか、空か有か、非同非異か、非空非有かを。汝元より知らず、如来蔵中に於いて、性識は明知、覚明は真識、妙覚湛然として法界に遍周し、十虚を包含す。豈に方所あらんや。業に循って発現するを、世間の無知、惑いて因緣及び自然性と為す。皆な識心の分別計度にして、但だ言説有るも、実義無きこと都てなり。
釈:阿難よ、汝の心が粗雑なため、見聞覚知の本質が如来蔵であることを悟れない。六処に現れる識心の実相(空有・同異を超えた絶対性)を観察せよ。如来蔵においては識と知覚は清浄本然で、十方虚空を包含する。衆生の業縁に応じて現れるこの理を、世間は誤って因縁説や自然生起説で解するが、これらは全て妄識の分別に過ぎず、真実の義ではない。
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