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日常開示

2020年03月11日    水曜日     第2 回の開示 合計2202回の開示

『楞厳経』第三巻 眼入は即ち本如来蔵妙真如性なり

原文:復次阿難。六入が何故に如来蔵の微妙なる真如性であるのか。阿難よ、即ちかの目精が凝視して労相を発する者、目と労相とを兼ねるものは、共に菩提なるものなり。凝視して労相を発するは、明暗の二種の妄塵に因る。見性が中に発し、この塵象を吸収するを、見性と名づく。この見性は彼の明暗二塵を離れて、畢竟無体なり。

釈:阿難よ、六入が本来如来蔵の微妙なる真如性である所以は、六入の全体が如来蔵より生じたるものであり、如来蔵の功能的属性であるからなり。六入の中に如来蔵の機能作用を発見し、如来蔵を証得し得る。眼根と意根の活動相・労触相は即ち妙真如性なり。生じたる見性は妙真如性であり、見性を生じる明暗の二縁もまた妙真如性なり。衆生の見る所・触れる所・用いる所は全て妙真如性にて、一法として妙真如性ならざるはなし。如来蔵を証得すること実に難きにあらず、至る所に如来蔵の影跡あり。衆生自身の業障如何、見性の因縁条件の熟するや否や、菩薩性の具足するや、戒定慧の十分なるや、ここに難きあるのみ。

原文:かくの如く阿難よ、当に知るべし、この見性は明暗より来たるにあらず、根より出ずるにあらず、空より生ずるにあらざるを。何となれば、もし明より来たらば、暗に随って滅すべきに、暗を見るべきにあらず。もし暗より来たらば、明に随って滅すべきに、明を見るべきにあらず。もし根より生ずれば、必ず明暗無かるべし。かくの如き見精は、本来自性無し。もし空より出ずれば、前に塵象を瞻み、帰りて当に根を見るべし。また空自ら観るは、何ぞ汝が入に関わるや。是の故に当に知るべし、眼入は虚妄にして、本より因緣にあらず、自然性にあらず。

釈:阿難よ、この見性が明暗二相より出ずるのでも、眼根より生ずるのでも、虚空より生ずるのでもない所以は、もし光明より生ずれば暗に随って消滅し暗を見ず、暗より生ずれば明に随って消滅し明を見ず、眼根より生ずれば明暗相無く自性無く、虚空より生ずれば眼根を見るべきも見えず、虚空自ら見るは眼根と無関係なり。故に眼入は虚妄にして、本来因縁生でも自然性でもなく、如来蔵性なることを知るべし。

——生如法師の開示
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《善悪占察業報経》抜粋

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