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日常開示

2020年03月13日    金曜日     第1 回の開示 合計2204回の開示

『楞厳経』第三巻 鼻入は本如来蔵の妙真如性である

原文:阿難よ、譬えば人が鼻を急に引きつけるが如し。引きつくること久しければ、鼻に労相を成し、鼻中に冷触を聞く。触に因って分別し、通塞・虚実を通ず。是の如く乃至、諸の香臭気に兼ねて、鼻と労相とは、同じく是れ菩提の瞪発する労相なり。通塞の二種の妄塵に因り、聞きを発して其中に居り、此の塵象を吸う。これを嗅聞性と名づく。此の聞は彼の通塞二塵を離れ、畢竟体無し。

釈:阿難よ、譬えば人が急に鼻を引きつける如く、引きつくること久しければ鼻に触労の相を生じ、鼻中に涼しい触覚を覚える。鼻が冷相に触れる故に、通じているか塞がっているか、虚か実かを知る。かくの如く鼻根が全ての香臭気に触れる時、鼻は触覚あるを知る。鼻根とこれらの労触相は、全て菩提心より発する労触相なり。虚通と堵塞を通じて虚妄の塵境を知り、其中に嗅聞性を発し、嗅性がこれらの塵相を吸収し、各種の味塵を顕す。これを嗅聞性と称す。此の嗅聞性は虚通と堵塞の二塵を離れ、畢竟自性無し。

原文:当に知るべし、此の聞は通塞より来たるに非ず、根より出ずるに非ず、空より生ずるに非ず。何を以っての故に。若し通より来たれば、塞ぐ時は聞滅す。何を以って塞ぐを知らん。塞ぐに因りて有るが如く、通ずれば聞無し。何を以って香臭等の触を発明せん。若し根より生ずれば、必ず通塞無かるべし。是の如き聞機は、本より自性無し。若し空より出ずれば、是の聞は自ら当に汝が鼻を回嗅すべし。空自ら聞有り、何ぞ汝が入に関わらん。是の故に当に知るべし、鼻入は虚妄にして、本より因緣に非ず、自然性に非ず。

釈:阿難よ、此の嗅聞性が通塞より出ずるのでなく、鼻根より出ずるのでなく、虚空より生ずるのでないことを知るべき。何故ならば、嗅聞性が通じる所より来るなら、塞がれば消滅するはず。如何にして堵塞を知り得ようか。堵塞に因って存在するなら、通じれば嗅聞性無し。如何にして香臭気を弁別せん。鼻根より生ずるなら、通塞の塵境無く、通塞を知る能わず。此の如き嗅聞性に何の自性あらん。虚空より出ずるなら、此の聞性自ら汝の鼻を嗅うべき。虚空自ら聞性有るなら、汝の鼻入と何の関わりあらん。故に嗅聞性は虚妄にして、本来因縁性にも自然性にも非ず、如来蔵性なることを知るべし。

——生如法師の開示
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『楞厳経』第三巻 耳入は如来蔵妙真如性なり

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