原文:阿難よ、譬えば人が舌をもって唇を舐め、熟く舐めて労せしむ。その人もし病めれば則ち苦味あり、無病の人は微かに甜触あり。甜と苦とによりて、この舌根を顕す。動かざる時は淡性常に在り。舌と労とを兼ね、同じく是れ菩提の瞪発する労相なり。甜苦淡の因によりて、二種の妄塵、知を発して中に居り、この塵象を吸う、これを知味性と名づく。この知味性、彼の甜苦及び淡の二塵を離れて、畢竟体無し。
釈:阿難よ、譬えば人が舌を使って口腔を舐め、長く続ければ疲労を覚える。もしその人が病んでいれば苦味を感じ、健康な人は微かな甘味を感じる。甘味と苦味の二相によって舌根の作用が現れる。舌が動かない時は常に淡い味がする。舌根と疲労という二つの塵相は、共に菩提心から生じ顕現した労触相である。甘苦と淡味という二種の味塵によって、舌根はその中に知性を発し、これらの味塵を感知することを知味性という。この知味性は甘苦と淡味の二塵を離れれば、本来固有の体性を持たない。
原文:かくの如く阿難よ、当に知るべし、苦淡を嘗めて知るは、甜苦より来たらず、淡より因るにもあらず、また根より出でず、空より生ぜず。何を以ってかというに、もし甜苦より来たらば、淡ならば知滅す、いずくんぞ淡を知らんや。もし淡より出ずれば、甜即ち知亡ぶ、またいずくんぞ甜苦の二相を知らんや。もし舌より生ずれば、必ず甜淡及び苦塵無かるべし、この味根の知は本来自性無し。もし空より出ずれば、虚空自ら味す、汝が口の知るに非ず、また空自ら知る、何ぞ汝が入りに関わらん。故に当に知るべし、舌入は虚妄にして、本より因緣に非ず、自然性に非ず。
釈:このように阿難よ、苦味を感知し淡味を知るこの知性は、甘苦の相から生じたものではなく、淡味から生じたのでもなく、舌根から出たのでもなく、虚空から生じたのでもない。なぜなら、もし甘苦から来るなら淡味が現れた時知性は消滅するはずで、どうして淡味を知ることができようか。もし淡味から出るなら甘苦が現れた時知性は失われるはずで、どうして甘苦を知ることができようか。もし舌根から生じるなら、本来甘苦と淡味の二塵を持たず、それらの味相を知るはずがない。もし虚空から出るなら、虚空自体が味を知るのであって、あなたの舌は知ることができず、また虚空が自ら知るなら、どうしてあなたの舌根と関係があろうか。よって舌入は虚妄であり、本来因縁によるものでも自然の性質によるものでもなく、如来蔵性によるのである。
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