なぜ仏陀は『楞厳経』の冒頭で七処征心を説かれたのでしょうか。それは妄りを破り真実を顕すためであります。第一巻において破られた妄法は六識の心であり、阿難尊者との七度にわたる心の追究を通じて、仏を愛楽する妄心の所在を探求されました。しかし探し求めても妄心が究竟的にどこにあるのか、意根の存在する処を見出すことができませんでした。これこそが妄心は虚妄であり、幻のような存在で、実体のないものであることを示しております。衆生に対し、妄心である六識を自己として執着せず、妄心を捨てて真実の心を証得し、自らの宝を識別するよう教え諭されるのです。そうしてこそ迷いを破り悟りを開き、生死の束縛を解き放ち、大いなる解脱を得ることができるのであります。
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