問:真に自己の全体が空であることを証得した後、内面の覚受はどのようなものですか。
答:禅定を得ていない者が五蘊皆空・無我の理を理解した後、ほとんど身心に震撼的な覚受は生じず、ただ空と感じるのみです。それは単なる感覚的認識に過ぎません。禅定がなければ、行じた観行は根本的な意根に触れることができず、従って身心に何らの触発も生じず、ましてや震撼感などありません。深層の意根からの触発があって初めて、身心霊に真に深遠で巨大な覚受が生じ、その時自らが別人の如く変化したと実感するのです。
現状では、大衆の福徳と禅定が甚だ不足しているため、観行が意根に触れることができず、行じた観行は単に意識層面に留まります。その結果として五蘊皆空を理解し、自己が空だと感じるに至っても、実際には空になっておらず、事態に直面すれば突破できず、理と人が乖離した状態になります。これが現代仏教修行者の通態であり、敢えて通弊とは申しません。
真に空を証得した後の覚受は、公に議論するに適さず、経験者に私的に尋ねるべきです。もし真実の感覚を公言すれば、それを知った者が暗示的に自らに同様の覚受があると主張し、実際には証果を暗示して名聞利養を得ようとするでしょう。人心は古に比べず、純粋ではなく世俗心が甚だしく、あらゆる隙間から侵入してきます。
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