万法は本来、因縁にも自然性にも属さないものである。世尊は楞厳経において、万法が生じる二つの因縁性と自然性を否定された。従って残る唯一の結論として、万法は如来蔵性そのものであり、如来蔵より生じた幻化である。故に万法は全て如来蔵性を具えているのである。如来蔵の存在を知らない、あるいは認めない外道たちは、一切の法は様々な因縁によって生じたか、或いは自然に存在するものだと説く。しかし世尊は、全ては如来蔵より生じたものであり、如来蔵なくして一切の法は成立しないと明かされた。
世尊は五蘊・六根・六塵・六識・十二処・十八界のそれぞれの法の根源が如来蔵にあると説かれた。これらは種々の因縁が集まったものでも、自然に存在するものでもなく、如来蔵が様々な縁に応じて現出したものである。世尊は他の一切の法が生じる源を悉く否定し、如来蔵のみがこれら一切の法を生じる根源であることを明示された。楞厳経における世尊の分析は、衆生に五蘊・十二処・十八界が全て虚妄であり、後天的に生じたものであり、生滅を免れず、全て如来蔵より来たるものであることを観行せしめる教えである。これに基づき我々も観行によって我見を断じ、如来蔵の所在を究明し、その働きを了知するに至る。これが即ち明心証悟である。故に楞厳経は我々が如来蔵を証悟するに足る経典なのである。
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