六根はすべて生滅の性質を有するものであり、このうち五根は第八識が業種と父母縁、および意根の執取によって生じたものである。縁が散じれば即ち滅び、自在ならず、自主性を持たない。意根は第八識が識種子を輸送して生じたものであり、刹那生滅が連続して形成された識の仮相である。無余涅槃に入る時には滅却可能であるため、これまた虚妄にして自在ならず、幻化なる我ならざるものである。観行に際しては、徐々に思惟を深め、極めて微細に思索を重ねる必要がある。かくして初めて内心に触発が生じ、六根および五蘊が真実ならず、真の我ならざることを真に認証し得る。禅定を修め、定力と相俟って観想を進め、一法の思惟を了えて次法に移行すべし。思惟した内容を深く脳裏に懸け、深く、緩やかに、細やかに、心を浮動させず、深く懸けられた思惟の法は、内心ほとんど動かず、実は極めて緩慢かつ微細に動くものである。かかる観行こそ、正しき観行の方法である。
3
+1