身識の受覚は、四禅定まで修しなければその影響を受けなくすることはできません。外道でも色身の覚受を克服して滅除することができ、禅定さえあればよいのです。意識の覚受は、必ず断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)によってこそ降伏し滅除することができます。五識の上の受は禅定に依拠すれば滅除できますが、意識の受は必ず智慧に依拠してこそ滅除できるのです。五識の覚受は、注意を他に転じる方法によっても圧伏することができます。注意を転じることも禅定と関わりがあり、注意が痛みのあるところになければ、痛覚を感じることはできません。
ある法は禅定によって解決できるものであり、ある法は必ず断我見の智慧と明心開悟の智慧に依拠してこそ解決できるものであり、またある法は禅定と智慧とを結合させてこそ解決できなければならないものなのです。
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