初禅定以前の意識心には覚があり観があり、初禅定から二禅定の間は覚がなく観があり、二禅定以上は覚もなく観もない。覚とは境界を覚知することを意味し、思惟という心理活動がある。観は照するということに相当し、意識の思惟分析活動はなく、意識心は動かないが、なお受動的な知がある。二禅以上では五識は滅するが、意識は滅せず、非常に微細な知があるが、反観力 (pratyavekṣā-bala) の能力はなく、自分に知があることを知らず、すべて滅してしまったかのようである。
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