衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年03月31日    火曜日     第1 回の開示 合計2242回の開示

見性とは何か

見性とは何か。見性とは法を見る能力のことです。第八識には見性があり、第七識にも見性があり、第六識にも見性があり、前五識にはそれぞれ独自の見性があります。八識の見性が認知する法相はそれぞれ異なります。見性が現れると識性が生じ、識性が現れると法が活動を始め、生住異滅の流転が起こります。

仏は言われました。「波斯匿王よ、あなたが三歳の時に恒河の水を見た『見』と、十三歳の時に恒河の水を見た『見』に違いはあるか」と。波斯匿王は答えました。「違いはありません。今六十二歳の私が恒河の水を見る『見』とも変わりません。見性は不変なのです」と。仏は言われました。「この変わらぬ見性こそが滅びないあなたそのものである。見ようと見まいと、その見性は常に存在して滅びることはない」と。

では恒河の水を見る『見』とは、いかなるものなのでしょうか。第八識が恒河の水を見るのでしょうか。もし第八識が恒河の水を見ないのであれば、五識・六識・七識はどうして恒河の水を見ることができようか。もし第八識が恒河の水を見るのであれば、なぜ五識・六識・七識が恒河の水を見る必要があろうか。結局どのような理屈なのでしょう。

第八識が認知した後に生じる相似の影像が、勝義根に至るまで伝わり、さらに五識・六識が影像を認知するに至ります。第七識は常に認知を続け、一瞬も途切れることがありません。もし第七識が認知しなければ、五識・六識も存在せず、ましてや五識・六識の認知などありえません。そして第八識は最初から最後まで一瞬たりとも認知を止めることがないのです。そうでなければ、五識・六識・七識はどうして認知できようか。

——生如法師の開示
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