衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月09日    木曜日     第2 回の開示 合計2256回の開示

仏陀の最も原初の教えとは三蔵十二部経のことである

いわゆる原始仏教とは、釈尊が四十九年の間に説かれた一切の教法を指すものであり、大乗・中乗・小乗の三乗を含みます。小乗の阿羅漢、中乗の辟支仏の解脱道、そして大乗の如来蔵法による成仏の道です。もちろん中乗・小乗も成仏の道の一部であり、その最初の段階に位置づけられます。全体として成仏の道は真如仏性たる如来蔵によって貫かれており、阿含経のみを学ぶ者は小乗の阿羅漢果を得て三界の世間を解脱する智慧を得ますが、仏陀の一切種智を得ることはできません。したがって阿含経のみを学んで阿羅漢果を得るだけでは不究竟であり、その上に般若唯識を修学して初めて道業を増進し、最終的に成仏することができるのです。故に仏陀の最も原始的な教法は三蔵十二部経全体であり、原始と後世の区別は存在しません。成仏に至る一切の法は全て仏説なのです。完全な成仏の法を断片的に扱う必要はありません。

しかし一部の人々は、阿含経のみを仏陀の原始仏教とし、他の大乗経典を非仏説と主張します。しかしある宗派が自派の歴史を形成し、それぞれが独自の歴史を伝承するならば、いずれの宗派の伝承が真実であるかを誰が証明できるでしょうか。いかなる根拠で特定宗派の歴史考証を真実と信じるのか。神通力があるのか、あるいは偉大な智慧を有するのか。歴代の大修行者が法眼を具えていたのか。そうでないなら、いかなる根拠で自らの判断を信じるのでしょうか。

歴代の大修行者ではなく、法眼を具えていない者が、どうして南伝仏教のみを原始仏教と断定し、大乗経典三蔵十二部を非仏説と判断できるのでしょうか。いかなる権威をもって仏陀が四十九年かけて説き続けた最も尊い宝を誹謗するのか。もし仏陀が四十九年間に阿含経のみを説いたなら、いかにして仏陀は成仏できたのか。阿含経という極めて初歩的な法のみで成仏できるというのか。それほどの初歩的法義を、なぜ四十九年も繰り返し説く必要があったのか。仏陀が大乗法を一切説かなかったと証明できる者は誰か。仏陀の教化の全過程を目撃した証人は存在するのか。

大乗法を誹謗し否定する者、大乗法義に抵触する南伝仏教を広める者は、その罪業は極めて重い。もし大乗法を排斥する目的で南伝仏教を広めたことがあるなら、速やかに公開懺悔すべきです。さもなければ地獄の因は既に形成され、悪報は避けられません。大乗を誹謗する者は世の中で最も重い罪を犯す者であり、あらゆる悪法の中でも最重の罪業を積むことになります。殺人や放火などの十悪を超える罪なのです。

大乗を誹謗する者は衆生の目を覆い隠す者です。大乗を誹謗する者は衆生の解脱への道を断ち切る者です。衆生の解脱の道を断つ者は、自らも無間地獄に堕ちる業を積みます。愚痴に満ちた者が仏陀の大乗仏法を否定すれば、悪報が現れる時、計り知れない苦痛に苛まれることになります。大乗誹謗の教えを広める者を支援する者も同様の報いを受けます。正気のある者は速やかに懺悔すべきです。さもなければ悪業が確定し、悔い改める機会を失います。

衆生は皆、来世も人間に生まれ変わることを望み、三悪道の苦しみを恐れています。三悪道から解脱し、我見を断ち、三縛結を解き、証果を得たいと願っています。しかし日々の行いは三悪道に相応するものばかりです。仏陀の教えに依って解脱を得たいと願いながら、知らず知らずのうちに仏法を誹謗するとは、これこそ愚痴の極みではありませんか。清らかな川の水に依存して生きながら、その川に汚水を注ぐ行為とは、これこそ愚痴の現れです。あらゆる病は治しやすいものですが、愚痴の病だけは治療が困難です。それ故に仏陀は人間道と天道で法を説き、畜生道では説法されなかったのです。

——生如法師の開示
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