衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月09日    木曜日     第4 回の開示 合計2258回の開示

無明と煩悩の業がもたらす果報

罪業の比較的重いものは、仏前で懺悔して瑞相を見る必要があります。例えば蓮華が現れ、仏が頭を撫でて慰めてくださるような場合です。一般的に重くない罪業は、大衆の前で誠心誠意懺悔すれば消滅します。覚えておくべきは、貪欲心は餓鬼道を生じ、瞋恚心は地獄道を生じ、愚痴は畜生道を生じるということです。臨終の際に悪業の相が現前すれば、必ず三悪道に堕ち、逃れることはできません。普段から自らの心性をよく観察し、仏法の理をもって降伏させるよう努め、戒律を保ち禅定を修めて煩悩を降伏させるのが比較的早道です。貪欲心が非常に強い者は餓鬼道で苦しむ時間が極めて長くなり、もし三宝に対して深刻な貪欲心を生じたなら、その罪は実に重すぎます。瞋恨心が比較的深刻な者は地獄道で報いを受ける時間が極めて長くなり、もし三宝に対して瞋恨心を生じたなら、その罪業はさらに甚大です。愚痴が深刻な者は大きな悪業を造作し、もはや畜生道の問題ではなく、まず地獄で報いを受け、その後餓鬼道、さらにその後畜生道に堕ちます。

一切の煩悩は全て愚痴から引き起こされます。愚痴は煩悩の根源であり、愚痴がなければ貪欲心や瞋恚心も生じず、煩悩業を造作することはありません。将来煩悩を断除する際には、貪欲心と瞋恚心が先に断たれ、愚痴は最後に断たれます。この世間は至る所真っ黒な愚痴の衆生で満ちており、あまりにも多く、あまりにも深刻です。

昔、居士が阿羅漢を誹謗したことがありました。阿羅漢はその居士に「私は既に阿羅漢果を証得した。あなたは必ず大衆の前で私に懺悔しなければ、必ず地獄に堕ちる」と告げました。そして阿羅漢は鐘を撞いて大衆を集め、居士は大衆の前で阿羅漢に謝罪懺悔しました。しかしその居士は命終後やはり地獄に堕ちました。なぜでしょうか。阿羅漢を誹謗する罪業があまりにも大きく重いため、懺悔後も完全に消滅せず、もし懺悔しなければ罪業はさらに重くなり、地獄で受ける報いの時間がより長くなるからです。地獄で一分でも早く出られることは、万に一つも稀な喜びです。罪の軽重によって堕ちる地獄も異なり、受ける苦しみも異なります。初果人・二果人・三果人を誹謗する罪業も皆重いものです。この世間の人は相手がどんな身分でどんな証量があろうと構わず、煩悩が起こると全てを誹謗し、結果を考えず、発散することが最も重要だと考えるのです。なんと愚かなことでしょう。

仏法を学ぶ者が煩悩を降伏させようとしないなら、たとえ八地菩薩の理論を学んだとしても、煩悩業を造作した後は三悪道に堕ち、八地菩薩の法も自分を救うことはできません。普段からただ自分の煩悩性情に従い、結果を考慮せず、己の情に任せ、己の意を逞しくし、他人がどうなろうと構わず、ただ自分の心が快適であれば良いと考えます。しかし果報が到来する時、百万倍の不快感が訪れます。快適と不快感の間に比例関係はあるでしょうか。全く比例しません。その時になって初めて、当初何故そんなことをしたのか、全く割に合わなかった、ただ悪報を受けるだけで何も得るものはなかったと後悔するのです。

——生如法師の開示
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