衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月22日    水曜日     第2 回の開示 合計2288回の開示

善行の果報をどのように最大化できますか?

問:ある甲が乙のために善行を行い、乙は甲の助力を得ました。甲は乙からの見返りや報いを得たいと考えています。甲にとって、乙から現在の報いを受けるのと、来世の報いを受けるのと、因果の自然な報いを受けるのと、どれが最も得策でしょうか。

答:無所求の心をもって因果の自然な償いを待つのが最も得策です。甲は善行を行いましたが、報いを求めず、これが無報いの心で事を行うことです。甲が報いを求めなくとも、因果の法則は自然に報いを生じさせ、この時の果報が最大となります。無為の心で善行を行えば善報は最大となり、有為の心で悪事を行えば悪報は最大となります。無為の心で善行をなせば善報最大、心大なれば報いも大なり。如来蔵に何故このような規則があるのかは分かりません。善行の果報を最大化しようとする者はこの隙を突くことができます。隙を突こうとする心があれば依然として心あり、心あれば心は小さく、無心なれば心は最大となります。報いを求め、目的を持って善行を行えば心あり、心あれば心は小さし。報いを求めず、善行に個人的目的なく私心なきは心大なり、心大なれば果報も大なり。

三宝のために善行を行えば、果報は最大となります。もしその中に私心あり、金銭名利地位権力などを求めれば大いに割引されます。強い私心を抱いて善行を行い、三宝を商売に用い、三宝がもたらす利益を図れば、悪事に転じ悪報を受けるかもしれません。

煩悩が重く、三宝の利益を図り、その図りが果たされず瞋怨を起こせば、地獄の果報となる可能性があります。全ての罪業は煩悩より起こり、全ての煩悩はあの「我」より来る。故に我見を断じて後、煩悩は軽微となり、遂には煩悩を滅し尽くして解脱を得ます。世間の至る所に、大は国家間、中は団体間、小は個人間に至るまで、衆生の貪瞋痴の煩悩を見ることができ、まさに煩悩熾盛に蔓延し救い難し。末世は畢竟末世、衆生の業重く障深く福薄く、罪業は善業を遥かに超え、悪報は善報をはるかに凌ぎます。故に後世には極めて多くの者が三悪道に赴き報いを受けること必定で、これは免れ難く、死亡や病苦などは些細な事となります。

——生如法師の開示
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