釈迦仏の本生故事の経典には、いくつかの経に釈迦仏が生生世世にわたって修行した足跡と軌跡が記されており、釈迦仏の生生世世にわたる出身、家族の状況、そして修行の道のりにおける同修道友や多くの弟子たちが紹介されています。その中で私に最も印象が深いのは、いくつかの経に釈迦仏と阿弥陀仏など多くの仏たちが、多生多世にわたって親族・実の兄弟の関係にあり、あるいは同じ仏国土で修道し、互いに助け合い、輔け合い、護り合っていたことが紹介されていることです。また、釈迦仏が多くの世で今世の十大弟子たちと共にいて、師弟関係にあり、名前も似通っていたり同じであったことも紹介されています。さらに、釈迦仏の今世の妻と釈迦仏の前世との因縁、釈迦仏の母と釈迦仏の前世・後世との因縁についても紹介されています。
これらの物語の筋立ては何を示しているのでしょうか。諸仏の間の縁、仏と弟子の間の縁、仏と家族親族の間の縁を示しているのです。人々の間に善縁が結ばれれば、凝聚力が生まれ、これらの人々を一つに凝集させます。そして、非常に強大な縁のある、極めて強大な団体に依り頼むことができ、生生世世この強大な団体と共にあれば、生死に依り所ができ、心の中に主宰ができます。
三宝こそ命を救う藁です。衆生はこの命綱をしっかりと掴んでこそ、自分の命を救うことができるのです。三宝のほかに、衆生が依り頼めるものはなく、何も当てになりません。生死の道のりでは、天に叫んでも応えず、地に叫んでも応えず、孤独に自らの業力を受け止めるしかありません。諸仏菩薩と縁を結び、生生世世諸仏と聚り、仏を離れないようにすることです。
法華経において、仏は弟子たちに成仏の記別を授けられました。これらの弟子たちは共に修行して縁を結び、歩む大道はほぼ同じであり、修行の階層もおおよそ同じであったので、成仏のときには前後して次々と成仏するのです。縁とはこのように重要なものです。智者は必ず三宝の縁を掴み、優れた団体の縁を掴み、この縁によって自分の生生世世の依り所を成し、自分を支えて一歩一歩高みへ昇らせなければなりません。
団体は非常に重要です。団体とは縁であり、縁は非常に重要です。縁がなければ何も語ることはできません。関係がないのに何を語ることがありましょうか。今現在の肺の病の疫病で亡くなった二十万人近くの人々のように、彼らには三宝の縁がなく、孤独に死に、また孤独に生れ変わり、依り所もなく、頼るものもなく、目的もなく、悲しみ嘆き、ぽつねんと六道を漂い、出る時期もありません。非常に悲惨ではありませんか。だからこそ、三宝に帰依することは非常に重要なのです。三宝は衆生の生命の依止であるだけでなく、衆生の解脱の舟でもあります。三宝という大木の下でこそ涼を得ることができ、心は寂静の涅槃を得るのです。
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