日々観行を実践することは、意識と意根にとって智慧の向上であり、当然ながら禅定も強化されます。観行を始めた当初は非量・比量的要素が多くを占めますが、最終的には現量的要素が次第に増加し、心は五蘊世界の虚妄不実をますます認識できるようになります。観行には一定のプロセスがあり、定力が強化されるにつれて観行の智慧も深まり、智慧が深まることでさらに禅定が強まります。観行によって得られた法理に対する意識の確認は比較的容易ですが、意根の納得は容易ではありません。意識単独の確認では身心に変化が生じず、意根がどの程度納得するかによって、それ相応の転変が現れます。
意根がひたすら観行に専念し、他のものに興味を示さず、身にも法にも執着しなくなれば、禅定が現前し、身体に軽安や快適などの現象が生じます。心が比較的集中して禅定状態にあれば、意識が思惟観察する法義は容易に意根に受け入れられ、意根が受け入れることで観察と悟解が容易になり、思想境界の変化が生じ、各種の禅定、すなわち三昧の境地が現れます。
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