想薈は融通妄想に属し、妄想が幻のようにある境界を現出させることにより、身体は妄想に従って変化を生じます。身体は妄想された境界に接触していないにもかかわらず、ただ心に思いを馳せるだけで身体に変化が現れるのは、身体が心の動きに従い、心によって指揮されていることを示しています。このような自発的でない身体の動きがいかに虚妄で真実でないか、まるで魔術師が幻を操るように、いったい誰が身体を指揮し制御しているのでしょうか。それは意根であり、身体と識心は相互に通じ合い、融合し合っており、心の念力が身体を駆動し、その動きを決定しています。どのような心の念力がこれほどまでに強大で力強いのでしょうか。意根の心念こそが主宰的役割を果たし、力強く色身を変化させ得るのです。意識の心念は意根に影響を与え変化させることはできても、直接身体を運転し変化させることはできません。
想薈は主に意識の想を指しますが、意識の想は第一に意根の支配と決定を受け、第二に意根を支配し影響を与えます。理屈で理解したものは証悟に属さず、多くの理は理解できても実証には至らないため、理解した後には実証を経る必要があります。喜びに手足を躍らせたり、身体を虔誠に礼拝させたりする時、身体と心にはどのような関係があるのでしょうか。識心が悲しい出来事を想起すれば、なぜ目に涙が浮かぶのでしょうか。怒りを誘う事柄を思い出せば、なぜ拳を握り心臓が激しく鼓動するのでしょうか。憂鬱な心情がなぜ身体を病ませるのでしょうか。愉快な心情がなぜ病を癒すのでしょうか。これらの想薈は全て融通妄想に属し、また妄りに思い乱れることで、極めて虚妄であり実体を伴いません。世の中に元々問題はないのに、愚かな者が自ら悩みを招くのです。
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