業種は四大種子から成るものではなく、一種の情報であり、無形の記録である。業種はコンピュータ内のデータファイルのようなもので、形相はないが呼び出せば顕現し、呼び出さなければ存在しない。しかし業種が消失した場合でも、神通力を有する者はそれを呼び出し、その情報を閲覧することができる。
これらの種子に関する問題は非常に深遠な法義であり、現時点では私たちは推測と想像に頼るしかなく、現量観行することは不可能である。初地に入り唯識の種子の智慧を獲得して初めて、次第にこれらと相応し、徐々にその内容を観察できるようになる。
業には清浄業と染汚業の区別がある。無余涅槃における阿羅漢のみが業を造らず、仏も業を造るが、仏が造るのは清浄業であり無明業ではない。無余涅槃には阿羅漢が存在しないため業を造らない。意根が存在しなければ業を造ることはなく、意根こそが造業の主体である。究極的には、一切の業行は如来蔵によって造られるのである。
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